ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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三浦峠(2)

★★★

 

三浦峠の取扱説明書

現在の地図では無色となっている三浦峠。おそらく町道という扱いなのだろう。だがこの峠道がかつて国道であった可能性があるのだ。それは地図上からも何となくは読み取れる。しかし峠の遍歴を辿ると、一概に国道であったなどとは言い切れないのである。勿論当時の地図を持っていれば別だが、現在の地図からはどうしてもここが旧道である説明が付かないのだ。そこで早速現地へ向かい実走調査を試みた。そして長らく疑問であった三浦峠旧国道説を裏付ける証言を得ると供に、謎であった迫間峠との関係も全て明らかとなる。

 

三浦峠

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

細く長く延びる谷筋の平坦面をうまく利用し、田んぼがどこまでも追い駆けてくる。まだ稲は植えられておらず、水だけが張られた田んぼは、まるで透き通った鏡のように、空と大地を正確に映し出す。その中をゆっくりと雲が移動して行き、ここだけは別の空間であるような、なんともゆるりとした時間が流れている。谷が最奥部に達したのを見届けた当路線は、それまで勾配率1%程度だった

三浦峠

空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

ものを急激上昇させ、どこかに目標を見据えたかの如く、登坂を開始するのである。人工的な植林杉の中を行く当路線は、今でこそ何者にも邪魔をされる事ない静寂な森となっているが、その昔は多くの車両がここを行き交ったとされる。それは全くもって信じ難い光景で、道中には標識はおろかガードレールのひとつも無く、幅員こそ1.5車線を確保しているが、断崖絶壁につき離合は困難を

三浦峠

お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

極めたはずだ。ましてやここが現役当時は当たり前の話だが、この道以外には道路が存在しない訳で、大型車もここを通らざるを得なかったはずである。だからこそ道中には完全1車線という狭い箇所が存在しないのだ。その昔はこの道が砂利道であったと古老は語った。見ればその後の舗装化に際し、路肩や法面の補強などの抜本的な対策は取られていない。つまりこの道は後年に

三浦峠

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

なって拡幅されたのではなく、当時の幅員のままアスファルトだけが敷かれたのではないだろうか?但しL字型側溝だけは埋設されたようである。まだ上り始めて間もない地点ではあるが、早くも稜線らしきものが視界前方に現れ、行き場を失ったこの路線は右奥へと進路と採った。カーブを曲がるとそこにはほぼ垂直の切り通しがあった。ここが三浦峠か?しかし地図と照らし

三浦峠

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

合わせても、峠はまだ先であるはず。しかし地図も100%信用できるかと言えば、そんな事はない。コレまで何度も騙されてきたし、実走調査とは謳っても全ての道を走っている訳ではないし、計画線を地図上で勝手に開通させてしまったりと、結構やらかしてくれるのが市販の地図なのだ。それが過去の道ともなれば、疑ってかかった方が無難かも知れない。切り通しの向こうにはこの峠を

三浦峠

ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

象徴するかのような巨樹が天を仰いでいるのが見える。やはりここは三浦峠なのだろうか?切り通しは90度近い垂直の壁で、車両の離合が不可能である分、両側には待避所らしき膨らみが用意されている。切り通しを抜け振り返ると白看が設置されていた。当路線において初めて目にする道路遺構である。支柱の錆び具合から現役時代のものと推察するがどうだろう?プレートの部分

三浦峠

おはようからおやすみまでORRの道路調査報告書

だけど劣化を免れ、それほど古くは感じられず、町道に格下げされた後設置されたものかも知れない。切り通しを抜け出ると、そこにはやや広めの待避所が待っている。村外れから追い駆けてきたが電柱がこの切り通しまで来ていて、この先に人家もしくは何等かの施設でもあるのだろうか?

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