ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

トップ>旧道電撃ネットワーク>東海>三重>三浦峠

三浦峠(3)

★★★

 

三浦峠の取扱説明書

現在の地図では無色となっている三浦峠。おそらく町道という扱いなのだろう。だがこの峠道がかつて国道であった可能性があるのだ。それは地図上からも何となくは読み取れる。しかし峠の遍歴を辿ると、一概に国道であったなどとは言い切れないのである。勿論当時の地図を持っていれば別だが、現在の地図からはどうしてもここが旧道である説明が付かないのだ。そこで早速現地へ向かい実走調査を試みた。そして長らく疑問であった三浦峠旧国道説を裏付ける証言を得ると供に、謎であった迫間峠との関係も全て明らかとなる。

 

三浦峠

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

これまで見てきた峠にはお地蔵様や石碑など何等かの人工物が設置されていたりするものだが、この切り通しではそのような物を何ひとつ見つける事ができない。町界を指し示す白看がなければ簡単にスルーしている所だが、切り通し前後の線形を見てもここが峠であるように思える。陽の差し込まない薄暗く狭い切り通しと、すっかり成長しきった杉林に覆われ視界が全く開けず景色を

三浦峠

空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

楽しみながらのドライブという現代の峠越えとは180度異なり、その昔砂利道時代であった頃は常に対向車のみならず、自身の身の安全にも気を配らねばならぬような緊張感を強いられ、ハンドルを握る手にも力が入っていたのだろう。切り通しの前後には太陽光が差し込み、ここでは対向車待ちのみならず、一息つける休憩場所としても機能していたのかも知れない。振り向けば電柱と

三浦峠

お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

巨樹が門柱のように建ち並び、それを避けるかのように右側稜線へと割り込む旧道。さああとは下るだけか。進行方向へ目を向けると何やら様子がおかしい。この道は見えぬ森の先へ向かって、緩やかに上昇しているのだ。ここが三浦峠であるならば下りへ転じるはずだが。余裕を持って普通車同士が離合可能な切り通し前の広場は再び1.5車線へと縮こまってしまう。そして切り通しへ

三浦峠

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

至るまでの勾配ではなく、非常に緩やかな傾斜ではあるが、確実に上を目指しているのだ。路面は緩やかだが、道が付けられた斜面は絶壁に近かった。脱輪したら助からないような厳しい区間には、流石にガードレールが設置されていた。当然路肩も補強されてはいるが、その昔は何もない単なる砂利道だったかと思うとゾッとする。ガードレールが設置されているお陰で安心度は高まるが、

三浦峠

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

ただでさえ狭い幅員が必要に道幅を狭く感じさせ、こんな場所で対向車とはち合ったら、そのショックは計り知れない。今でさえ延々とバックを強いられ泣きそうなのに、当時は砂利道である。一歩間違えば逝ってしまうような道に、ここを行き交う人々は難儀した事だろう。待避所が定期的に現れるでもなく、カーブミラーなども設置されていないこの道を、積極的に利用しようなどとは、

三浦峠

ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

当時の人々も到底思わなかったはず。この道しかないから仕方なく通っていたというのが本音ではないだろうか。鞍を跨いだ事で道路上にも幾分光が差し込むも、放置気味の樹林地帯の中にあって、地表に届く光量はほんの僅かなものであった。それが大きく変化したのは、再び小さな白看が道路脇に現れた地点である。路上に燦燦と太陽光が降り注ぎ、それは下界の森から一歩

三浦峠

おはようからおやすみまでORRの道路調査報告書

抜け出し、ある程度突き出た山の上部に達している事を意味していた。誰に向けてのものかは分からないが、道中には人工物がほとんど存在しない中にあって、このような小さなものでも、不安な峠越えを少しでも和らげるアイテムとして、重要な役割を担っている事は、今も昔も変わらない。

三浦峠4進む

三浦峠2戻る

トップサイトナビゲーター管理人について感想・お問い合わせ