ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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矢ノ川峠(2)

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矢ノ川峠の取扱説明書

矢ノ川峠、僕がこの峠に初めて挑んだその日から、かれこれ15年という途方もない月日が経とうとしている。若さという勢いを武器に、全国に点在するありとあらゆる廃道を突破してきた僕の前に激しく立ちはだかったのがここ矢ノ川峠であり、僕はこの峠道で己の無力さと、物事には限界があるという事を学習した。あの日以来寝ても覚めても頭の片隅で矢ノ川峠の情景がチラつき、車両による通行を二度と叶わぬものとしたあの忌わしき落橋現場を忘れ去る為に、かんしゃく玉を道路に撒いた事も一度や二度ではない。時には突発的な衝動に駆られ、友人宅にロケット花火を打ち込んだ事もあった。また時には行きずりのおばんちゃんと寝たりもした。でも忘れる事なんて出来なかった。どんなに遠く離れた場所の峠であろうとも、僕はどこかで別の峠に矢ノ川を重ね合わせた。その後も血眼になって全国を渡り歩き、目を皿のようにして矢ノ川峠に代わる究極の峠を捜し求めるも、これ以上の峠を見つける事なんてできなかった。そして月日は流れ、照準は再び矢ノ川峠に向けられた。たかが15年されど15年、僕が無駄に場数を踏んだのでなければ、今なら矢ノ川峠を車両によって必ずや完全踏破できるはず。勿論ただでは済まないだろう。だが矢ノ川の突破なくしてORRの明日は無い。ワンモアタイム・ワンモアチャンス、帝都から遠く離れた彼の地にあって尚僕の心を掴んで離さない魅惑の矢ノ川峠。いよいよ機は熟した。そして2004年5月27日遂に決戦の火蓋は切って落とされた。

 

矢ノ川峠

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

【間柱と間柱の隙間を埋める子柱】

現道の千仭橋から枝分かれする旧道は、いきなり砂利道により開始される。

路面の砂利はとても澄んだ色をしている。それはつまり現役時代より旧道と化した今でも毎年のように砂利が継ぎ足されてきた事の証。

何か事ある毎に整地されてきた矢ノ川峠の歴史をそのまま今に伝える純然たる旧道本来の姿が路面にも垣間見られる。

矢ノ川峠

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【親柱に彫り込まれた橋梁名】

各地の名立たる旧道がアスファルトの餌食となり、上書きされこの世から急速に消え行く中で、ほぼ全線が砂利道のまま現存する矢ノ川峠旧道は生きる化石と呼んでも過言ではない。

時の流れと共に確実に風化が進み、遅かれ早かれ消え行く運命にある道路遺構群。そのほとんどが自然と土に還る中、世紀単位で後世に痕跡をありありと残す物質がある。

それが「純一」と「壱成」の二枚岩で構成され我が国では石変児と呼ばれる幻の石である。

矢ノ川峠

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【懐古橋:昭和拾年七月架設】

世界ではストーンヘンジと呼ばれ世界遺産にも登録されるそれは、イギリスは南部のソールズベリーの環状列石に僅かに確認されるのみという学術的にも極めて貴重な石である。

日本語では「石変児」と呼ばれるストーンヘンジが、何故矢ノ川峠に架かる橋梁に用いられたのかは全くの謎で、前後左右に計4本ある親柱には「懐古橋」「かいこはし」「竣工年」そして最後にお約束の「不倫は文化だ」と彫刻されている。

最後の一言が世界七不思議たる所以であるが、その辺の詳細な報告は世界不思議発見に任せるとして、先を急ごう。

矢ノ川峠

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【風化した転落防止用コンクリ柱】

懐古橋の親柱には昭和拾年七月架設と彫られており、市史などの文献に見た昭和11年に開通したとされる矢ノ川峠の車道履歴とピタリと符号する。

道路構造物にコンクリートが使われだしたのが昭和10年頃で、矢ノ川峠もご他聞に漏れずコスト面及び加工面で自在に操れるコンクリが投入された訳だ。

これがちょっとでも時代がずれていたならば、そこに石橋或いは木橋が架設されていた可能性が高い。

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【南谷を望む】

それまで人道さえ通じぬ未踏の斜面に無の状態から築き上げられた矢ノ川峠昭和道。その途中に架けられた懐古橋は竣工以来微動だにせず70余年の長きに渡りそこに居座っている事になる。それも全ての親柱及び間柱そして子柱までもが、そっくりそのまま現存しているのだから褒められていい。

懐古橋に魅了されたのも束の間、今度はコンクリ製の転落防護支柱に目が釘付けになる。

魔娑斗のローキックをもってすれば数発で逝きかねないほどすっかり風化した支柱。

矢ノ川峠

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【大きく膨らむ離合箇所】

現在のガードレールと同等の役割を担う連続するコンクリ柱は一世代前の道路付帯設備で、古くから使われる道の傍らに時々見られる貴重な道路遺構である。

それは南谷回りのこの道が開通した当初より設置されたと考えられる昭和初期産の純然たる道路遺構で、大きめの玉石が剥き出しとなった目の粗い粗悪なコンクリートが今日の洗練されたコンクリ製品には見られない重大な相違点である。

現役時は勿論新道が開通しても尚車両の安全運行に寄与したものと思われる転落防止柱。

矢ノ川峠

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【補修箇所】

現在のガードレールと比してひどく頼りないその柱にまかり間違ってボンバスが激突した場合、果たしてその用を成し得たかどうかは極めて微妙だ。

しかしドライバーにそこが危険箇所である事を強く意識させ、気をぐっと引き締めさせたという点において、転落防護支柱は事故に対する抑止力を充分に発揮し、転落事故の未然防止に一役買っていたと考えられ、少なくとも気休め以上であった事は間違いないだろう。

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