ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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矢ノ川峠(1)

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矢ノ川峠の取扱説明書

矢ノ川峠、僕がこの峠に初めて挑んだその日から、かれこれ15年という途方もない月日が経とうとしている。若さという勢いを武器に、全国に点在するありとあらゆる廃道を突破してきた僕の前に激しく立ちはだかったのがここ矢ノ川峠であり、僕はこの峠道で己の無力さと、物事には限界があるという事を学習した。あの日以来寝ても覚めても頭の片隅で矢ノ川峠の情景がチラつき、車両による通行を二度と叶わぬものとしたあの忌わしき落橋現場を忘れ去る為に、かんしゃく玉を道路に撒いた事も一度や二度ではない。時には突発的な衝動に駆られ、友人宅にロケット花火を打ち込んだ事もあった。また時には行きずりのおばんちゃんと寝たりもした。でも忘れる事なんて出来なかった。どんなに遠く離れた場所の峠であろうとも、僕はどこかで別の峠に矢ノ川を重ね合わせた。その後も血眼になって全国を渡り歩き、目を皿のようにして矢ノ川峠に代わる究極の峠を捜し求めるも、これ以上の峠を見つける事なんてできなかった。そして月日は流れ、照準は再び矢ノ川峠に向けられた。たかが15年されど15年、僕が無駄に場数を踏んだのでなければ、今なら矢ノ川峠を車両によって必ずや完全踏破できるはず。勿論ただでは済まないだろう。だが矢ノ川の突破なくしてORRの明日は無い。ワンモアタイム・ワンモアチャンス、帝都から遠く離れた彼の地にあって尚僕の心を掴んで離さない魅惑の矢ノ川峠。いよいよ機は熟した。そして2004年5月27日遂に決戦の火蓋は切って落とされた。

 

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道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

【15年前の矢ノ川初挑戦時のモノ、車両ジェベル200】

遡る事今から約15年前、僕は矢ノ川峠を途絶させたこの落橋現場で、一人意気消沈し途方に暮れた。

たった5m、されど5m。

そこはカールルイスを持ってしても、飛び越えられるかどうかの微妙な長さ、そして車両にとっては落ちたら二度と這い上がる事のできぬ深淵で、もしエンジン駆動による車両が惚けて進入すれば、五体満足で生還する事はほぼ不可能に近い墓穴だ。

矢ノ川峠

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【尾鷲側千仭橋手前の分岐点】

従ってここへチャリを除く車両によって到達した者は、間違いなく鼠返しを食らう。その確率は100%である。

顔を洗って出直して来い!

ここまで命からがらやってきた初戦の僕は、矢ノ川の門前払いに肩を落とすと同時に、同じ門前払いを食らった渦中の森進一氏に、門前払い仲間としてエールを送りたい。

何度門前払いされようともちゃんと謝って決着付けといた方が無難ですよ何気に、じゃなくて耳毛に。

矢ノ川峠

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【砂利道で始まる昭和新道】

それはチュパカブラかキムジナーか、突如ブラウン管に出現したイヤーマンの登場に全世界が一瞬にして凍り付いた。

放送倫理番組向上機構に寄せられた苦情では、捏造問題を追い越す勢いのパニック状態で、電話回線はパンク寸前であったという。

今回の超常現象をエイブラハム・リンカーンが見たら恐らくこう答えたに違いない。

耳毛の、耳毛による、耳毛のための、耳毛。

耳毛フォー!!!

矢ノ川峠

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【握り拳大の石が平然と転がる悪路】

またクラーク博士が生きていたならば、このような鋭いツッコミを入れた事だろう。

ボーボーイズビーアンビシャス!

まさに世界中が震撼するディープインパクト以来の衝撃。

僕の読みはこうだ。

ブラウン管に登場したイヤーマンは、なんだかんだ言って最後の花道を自己プロデュースで飾ろうとしたのではないか?

矢ノ川峠

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【転落防止用コンクリ柱の残骸】

歌は勿論キグルミの「たらこ」である。

それではキグルミのヒットナンバーに乗せてHere we go !

みぃーみげー みぃーみげー 

たぁっぷりぃー みぃーみげー

たぁっぷりぃー たぁっぷりぃー たぁっぷりぃー♪

うるさーい!

たっぷり過ぎてがっかりだよ!!

最後になりましたが、僕から森さんへ一言。

耳毛憎んで人を憎まず。。

矢ノ川峠

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【撒き足された土砂で熊野側が嵩上げされた古橋】

門前払いがどれほどきっついものであるかは、これで大体分かって頂けたと思うが、やはり有耶無耶にしたままだと先へは進めない。ここはひとつきっちりと決着を付けておきたい。

その為の足固めとして評議峠小阪峠木本隧道小阪隧道佐田坂としっかり外堀を固め、いよいよ本丸へとヘナリワンに突撃開始命令が下ったのは、今から遡る事約2年前の2004年5月27日の事である。

この日の僕はこれまでにない相当な覚悟を持って、深山幽谷の矢ノ川峠へと一人勇躍分け入った。

矢ノ川峠

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【そこが橋梁である事など眼中に無い整備状況】

その目的はただひとつ。

エンジン駆動を持つ車両による落橋現場の攻略、そして落橋以来誰も成しえていない矢ノ川峠の突破である。

それも本気(マジ)で。

夢は想い続け決して諦めなければ必ず叶う。それを証明する為に僕はこの地へやってきた。

矢ノ川伝説ファイナルステージが今静かに幕を開ける。

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