ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

トップ>旧道電撃ネットワーク>山陽>岡山>船坂峠

船坂峠(2)

★★★★★

 

船坂峠の取扱説明書

大阪と北九州を結ぶ日本の大動脈とも呼べる主要国道の岡山と兵庫の県境に、海抜145mという山間部にしては屁みたいな峠がある。現在は大型車同士の相互通行が可能なトンネルによって、昼夜を問わず留まる事なく様々な車両が往来し、特に国の根幹を成す道路とは切っても切り離せない大型トラックの通行が目立つ船坂トンネル。現代の殺人的な交通量をその昔はどのようにして処理していたのだろうか?トンネルのある所に旧道ありの鉄則通り、ここにも峠道がある。それが今回のターゲットである船坂峠だ。僕はそこで驚愕の光景を目にする事となる。

 

船坂峠2(岡山県側)

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

二股を右の砂利道へと一歩足を踏み入ると、そこから先はどう考えても大型車がいっぱいいっぱいの幅員で、この道が船坂トンネル開通以前の道とは、到底信じ難い光景である。まだ旧道であると確定した訳ではなく、単なる自然遊歩道の可能性もある訳だが、そうなると先代の船坂隧道がどこかに眠っている可能性も浮上してくる。しかし現段階ではそれらしき道筋の発見には至っていない。

image003.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

まずはこの道の正体を突き止めねばならない。話はそれからだ。右に舵を切った僕は砂利道の上をゆっくりと進むが、それは生粋の砂利道でも、アスファルトが剥げたものでも無かった。二股両者を隔てる斜面の一部が崩れてきて、そのまま放置されていただけであった。普通車同士の離合も不能な完全1車線路は、現道の頭上を掠めるようにして奥へと延びている。

image005.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

もうその時点で真下を走る車両達は船坂トンネルへと潜っているはずだ。ツタやら何やらが絡みついたガードレールと対面のこれまた植物に巻きつかれ見るも無惨な姿をした警戒標識は、ここが単なる遊歩道では無かった事を証明していた。やはりこの道はその昔自動車に対応していた。この道が旧道だとしたら、二股手前までの幅広道は説明がつくとして、二股より先の完全1車線と化した区間はどうしても説明がつかない。

image007.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

ここを大型トラックが昼夜を問わず駆け抜けて行ったとでも言うのだろうか?その可能性がゼロとは言い切れない。何故ならば今でも大型トラックがギリギリガールズで漏れなく1台だけは通れそうなのだ。しかし対向車が来たら絶対にアウチだし、待避所さえ用意されてはいないのだ。その代わりお疲れ〜ってな感じでベンチだけは置いてある。そこには今でも使用されているのかどうかは定かでないが、錆び付いた街路灯も1本設置されている。

image009.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

それが船坂トンネル開通以前からあったものなのか、それとも歩道として整備された時に設置されたものなのかは判断がつかない。街路灯と電柱の立ち位置をよく見て欲しいのだが、道路脇から1m程奥まっているのが分かる。これはあくまで仮説だが、この道が現役当時は現在よりも幅員が広かった可能性がある。現在の幅員から左右1mずつ広げれば、そこには立派なインチキ2車線が出現する。

image011.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

遊歩道として整備した際、無駄に広い幅員を縮小したとも考えられるのだ。そうであれば初代船坂隧道を噛ます事なく、船坂峠→船坂トンネルという線も見えてくる。その当時の名残が現道との分岐直後に現れた2車線路なのではないか?いよいよ海抜145mという低い低い稜線が視界前方へと迫ってきた。

image013.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

あの先にはV字の切り通しが待っているのだろうか、それとも峠とは名ばかりの平坦な丘を越えるような形状をしているのだろうか?いつのまにか幅員は1.5車線へと広がり、両脇には縁石が配される立派な遊歩道となっていた。左手には公園として整備された際の記念碑が建立されていた。

船坂峠3へ進む

船坂峠1へ戻る

トップサイトナビゲーター管理人について感想・お問い合わせ