ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

トップ>旧道電撃ネットワーク>山陽>岡山>船坂峠

船坂峠(4)

★★★★★

 

船坂峠の取扱説明書

大阪と北九州を結ぶ日本の大動脈とも呼べる主要国道の岡山と兵庫の県境に、海抜145mという山間部にしては屁みたいな峠がある。現在は大型車同士の相互通行が可能なトンネルによって、昼夜を問わず留まる事なく様々な車両が往来し、特に国の根幹を成す道路とは切っても切り離せない大型トラックの通行が目立つ船坂トンネル。現代の殺人的な交通量をその昔はどのようにして処理していたのだろうか?トンネルのある所に旧道ありの鉄則通り、ここにも峠道がある。それが今回のターゲットである船坂峠だ。僕はそこで驚愕の光景を目にする事となる。

 

船坂峠4(岡山県側)

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

長く続いた傾斜の緩やかな直線路も、いよいよクライマックスを迎えようとしている。雑草に中に埋もれその姿をはっきりと捉える事が難しかった両脇の斜面もぐっと近づき、遂に完全な切り通しが姿を現した。その中央に位置する1車線路が、いかに不自然かがお分かり頂けよう。その昔は完全な2車線路で通されていたと思われる船坂峠が目前に迫る。

image003.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

落石注意の警戒標識も錆び付いてあたかも現役時代のもののように見えるが、そこに差し込まれたのは、旧道化後の事であろう。両脇の斜面は更に傾斜がきつくなり、警戒標識が数箇所に設置されている通り、脆い土質が災いしてか、土砂崩れが絶えず発生しているようだ。お陰で今は頑丈な落石防護壁が、ここを行き交う人々を守っている。

image005.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

僕はこの分厚いコンクリの壁を見た時に、やはり1車線だったのかも知れないと、少々自身の推論に気持ち揺らいだ。だが峠のピークに達するまで途切れる事なく続く、路面中央の切れ目に生える根性雑草が、僕の仮説を後押しした。この緑のセンターラインこそが、船坂峠2車線説を不動のものとしていた。但しそうなると両側のコンクリの壁には、現在よりも1m程奥へ引っ込んでもらわねばならない。

image007.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

果たしてそれが旧道化後に設置されたものなのかどうかの判断は非常に難しい。船坂トンネルを潜った事のある方ならお分かりだと思うが、コンクリの隧道でありながら、随分と古風な坑門をしている。国の根幹を成す主要国道の、それも県境を越える重要な峠である。それなりの威厳を保たねばならないといった暗黙の了解が着工当時はあったのかも知れない。決して派手ではないが、他の隧道とは明らかに異なる風貌の船坂トンネル。

image009.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

その上を越す旧道の峰越えルートに似合うのはただひとつ、それが石垣である。両側壁を覆うのはコンクリではなく石垣だ。現在はコンクリの側壁により、実幅1.5車線まで狭められ、あたかも車両の離合は叶わなかったように思える。しかしその昔は両側へ向かって1m程広がっていたのではないだろうか?現在の側壁はあくまで旧道化後に設置されたものなのではないか。

image011.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

だとすれば現在その防護壁ギリギリまで押し寄せる土砂の下に、かつての石垣が埋もれている可能性が濃厚だ。または石垣でなかったとしても、初代の壁面が何等かの形で残っている可能性は充分に考えられる。尤もここは古代遺跡ではなく近代道路遺構なので、地質調査の必要もなく、現地の古老を捕まえて当時の話を聞いてしまえば、あっけなく解明するだろう。但しこの峠を実際に越して行った人達ももういい歳だ。

image013.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

数十年後には当時の様子を知る者は、全てこの世から消え去ってしまう。だが今ならまだ間に合う。今ならまだ語り継げる。古地図に頼るのもいいだろう。だが生の証言には決して敵わない。ORRは推奨する。古老の語りにもっと耳を傾けよ。彼等の経験は貴重な財産なのだ。

船坂峠5へ進む

船坂峠3へ戻る

トップサイトナビゲーター管理人について感想・お問い合わせ