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www.henari1.jp ORRの道路調査報告書 ODA ROAD RESEARCH

〜道路格闘家へなりと闘う鉄馬ヘナリワンの軌跡〜

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トップ>旧道電撃ネットワーク>九州>大分>波多方峠の実走調査レポート

波多方峠(2)

★★★

波多方峠の前説

国東半島の内陸部に日向街道と呼ばれる古くから使われている県道の峠道がある。そこに近年長大トンネルが突かれ、かくてその峠道は旧道と化した。実に十余年ぶりの再訪となるこの峠道に、僕は初めて越すが如し新鮮な気持ちで挑み、新旧道の比較によって改めてそこが難所である事を思い知った。交通が途絶して久しい波多方峠、その現状を赤裸々にお伝えする。

波多方峠2-1

◆波多方峠2−1:境界標とヘキサが残る峠

この県道の起点は、城下ガレイで有名な杵築城の真下付近に位置し、国道213号線と接続する杵築市街地から、三つの県道が交錯する山間の集落波多方とを結ぶ。

市街地の外れには、大分空港道路&日出バイパスに直結する杵築インターが控え、杵築市街地と杵築インターの間はそこそこの交通量があり、車の往来は止まる事を知らない。

その昔は沿道に農家がポツリとあるだけで、辺り一面はほとんど畑であったと記憶しているが、今は近代的な集合住宅が建ち並び、杵築市街地は大きく様変わりした。

波多方峠2-2

◆波多方峠2−2:意外と広い切り通し

僕がこの地に初めて轍を刻んだ頃は、大分空港道路や日出バイパスは勿論の事、宇佐別府道路でさえ影も形も無く、どこへ行くにも難所が立ちはだかるといった具合で、今と違い道を選ぼうにもその選択肢は限られていた。

杵築と豊後高田を直接的に結ぶ道など無いに等しく、別府と宇佐を結ぶ唯一の路が国道10号線という有様で、地図上を小刻みで左右に振れる山道は、誰がどう見ても酷道のそれであり、ツーリングマップルでもオススメコースに選定されていない得体の知れぬ波多方峠など、鼻から眼中に無かったというのが当時の偽らざる心境だ。

波多方峠2-3

◆波多方峠2−3:土砂で埋没する側溝

だが峠と聞いて黙っていられるはずもなく、僕は自身の好奇心を抑え切れず、波多方峠に足を踏み入れてしまった。この峠の真髄を味わうのは十余年後に持越しとなってしまったが、夕闇迫る中訳も分からずに蛇行する県道を必死で走り抜けたのがまるで昨日の事のように思い出される。

鞍部の切り通し、その形状をまじまじと眺めるのは今回が初めてで、人通りが絶えて久しい波多方の堀割で、僕は一人撮影や計測に没頭した。切り通しの幅員は5m超に及び、緩やかなカーブを描くサミットで普通車同士の交換を可能としている。もっと狭苦しい印象であったが、計測値は嘘をつかない。

波多方峠2-4

◆波多方峠2−4:ベージュの絨毯

法面は両側共に地肌丸出しで、機械に頼らずとも人力のみで切り崩せる初歩的な施工であった。近代的な処理を成されていない壁面は、自然の成すがまま長い間風雨に晒され、剥離した壁面の一部が側溝を埋め始めている。

もうこの道を常時監視する者も、頻繁に整備の手が入る事もないのだろう。本来ならば鼠色一色に覆われているはずの足元も、この日はベージュ一色に染まり、現役を退いた道の多くが辿る末路を、もう道も踏襲しているように思えた。ただ旧道と化した後も何者かが峠道を辿っているようだ。ベージュの絨毯を割るダブルトラックが一定の交通量を物語る。

波多方峠2-5

◆波多方峠2−5:見通しの悪い1.5車線路

新道の開通後は、手の平を返したかのように状況が一変した峠道であるが、意外と幅の広い切り通しを始め、峠道の要所要所には離合箇所が用意され、また普通車同士なら減速して慎重を期せば離合可能な箇所がほとんどで、日中の波多方峠が苦痛を伴うものではない事に驚きを隠せなかった。

中でも僕を驚かせたのは、杵築側に残るセンターライン付きの完全二車線区間で、最後の最後まで峠道の改良に尽力した涙ぐましい跡に、感動を覚えずにはいられない。もしかしたらトンネルを穿つ事無く、山道の部分改修で済んだのではないか、そう思えてならない胸にぐっとくる遺構なんである。

波多方峠2-6

◆波多方峠2−6:交差点の石塔

 またこの山道の豊後高田側には杵築側とは異にする全く別の遺構が現存する。それがこの石塔だ。旧県道以外にも複数の小道が入り乱れる渦中に配置されている事から、馬頭観音の類ではなく、昔の道標のように思えてならない。

事実、旧県道の左斜め上からするすると人道に毛が生えた程度の小道が接近し、丁度この交差点で交わっている。僕はそれを見た瞬間直感的に街道と睨んだ。

時間の都合で深追いはしなかったが、旧県道筋の前身が江戸時代より使われる街道筋である事はほぼ間違いないと思われる。その理由は石塔と小道以外にも認められる。

波多方峠2-7

◆波多方峠2−7:ポケットパークはだかた

旧県道の起点が、かつての城下町杵築にある、それが最たる理由だ。今と違い昔の道は、町と町を繋ぐというよりも、城と城を繋いでいたと解釈するのが妥当だ。

杵築城を中心とし各方面に殿様道と呼ばれる官道が延びているのだが、そのひとつが波多方峠であったとしても、全く驚けない。現にツーリングマップルは、この路線に日向街道の副題を付与しているのである。尤も波多方峠が街道云々というよりも、僕の食指は切り通しに見る初代の姿に動くのである。街道から覇権を奪ったであろう初代の豪く狭い堀割に。

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