ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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九人ヶ塔峠(3)

★★★

 

九人ヶ塔峠の取扱説明書

国東半島の付け根に位置する別府と中津の丁度中間付近の山中に、ゆくゆくは重要な土木遺産に指定されるであろう希少価値の高い隧道が眠る。近年宇佐市に吸収された院内町と安心院町。かつて隣り合っていた二つの町の境界線上に、その昔から人馬の通行さえ容易ならざる急坂険路の難所が立ちはだかっていた。明治末期においても依然として交通途絶であった九人ヶ塔峠に待望の風穴が開くのだが、ここは日本一の石橋の町を謳う旧院内町である。現存するターゲットの材質構造が石積みでなければ嘘である。手掘り隧道である可能性も多分に含む中、僅かな期待を胸に第一次調査に赴いたのが2000年の秋。そこで僕はいきなり全国区の超レアな代物を目にする事となるのだ。

 

九人ヶ塔峠に残る掘割

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

旧道化より30年余りを経た掘割の壁面は、ほぼ垂直に近い状態で切り崩されているにもかかわらず、根付いた植物群と頭上より垂れ下がる木々の枝葉によって、さながら天然壁の様相を呈している。現在は大型車両が通れば九林寺木人拳のビシバシステムとなっているが、アスファルトに刷られた駐車枠が狭路ながらも往時は普通車同士の離合を辛うじて許すもので

昭和道と大正道の二度目の交差

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あった事を暗示している。石垣に守られた回廊はここで再び昭和新道と交差する。大正道の存在などお構いなしの我が道を貫く昭和道の前に、旧道は複数個所で分断され継ぎ接ぎの道路と化している。石垣が現存する掘割部分は通行止ではないものの、民間に払い下げられた私有地であるのは間違いない。昭和道を跨いだ先に続く旧道は行政が管理する立派な公道

昭和道と大正道の二度目の交差

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である。進入当初こそ10m近く掘り割られた台地も、二度目の交差部では5mほどまで縮小する。水道管のような構造物が頭上を掠めているが、昭和新道が開削される以前はU字溝のような水路が通されていたのだろう。左に見えるガードレールの高さが本来の純粋な台地であるのだが、大正道と昭和道がこの界隈の土地を完全に分裂させてしまっているのだ。これを

昭和道と大正道の二度目の交差

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見る限りすんなり道路が通されたとは到底考えられず、地権者との交渉も難航を極めたであろう事は想像に難くない。深見川を境に東西の台地は30mほどの高低差が生じている。安心院の市街地より西側の高台へ上り詰めるには、九十九俺を描くか高台の一部を掘り割る以外に手はない。昭和道は安心院大橋に傾斜を付ける事で滑り出しから高低差の縮小にかかり

九人ヶ塔峠旧道(宇佐市道)

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ある程度嵩上げしておき後半部分を盛り土と掘割の組み合わせによって台地のズレを克服している。大正道も後半戦に限れば似たような造りであるが、馬場橋を渡った直後の取っ掛かり部分に軽いジグザグを設ける事でちっとばかし距離損をしている。尤もそれは後出しの昭和新道と比しての話であり、大正期に道路をこしらえた人々にとって大正道はベターではなく

九人ヶ塔峠に残る往時の警戒標識

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ベストであったのだ。昭和道を跨げばそこは旧道の切れ端ながら現在も市道として供用される公共の道となる。ここに現役時代の置き土産が佇んでいる。すっかり錆び付いていつ折れてもおかしくない支柱には、警笛鳴らせの標識が掲げられ、若干色褪せながらもしっかりと用を成している。丁度この標識付近より台地の掘り下げが開始されたようで、随分と長く引き摺ってきた

九人ヶ塔峠旧道(宇佐市道)

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掘割も完全に消滅し、それほど苦もなく造成されたであろう穏やかな道が続く。人家も散見されるこの界隈で峠道は一旦小休止となる。これよりしばらく続く風光明媚な田舎道であるが、正面の小高い山の向こうには車両の鞍跨ぎを許さぬ著しく隆起する尾根が待ち構えている。

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