ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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大峠(7)

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大峠の取扱説明書

全国に大峠と名の付く峠は数あれど、最も名の知れた大峠とは福島と山形に跨るこの大峠を指すのだろう。決して派手な訳ではなく、現役時代はかなり地味な存在であったと伝え聞く。僕はこの峠の現役時代を知らない。大峠越えがいかに困難であったのか、旧道となった今では想像するしか手立てはないが、かつてこの道に車両が通っていた時代の再現を試みたい。と、これまでも幾多の勇者達がこの峠に挑み、そして散っていった。他聞に漏れず若かりし日の僕も大惨敗を扮し苦汁を舐めた。だがこのまま黙って引き下がる訳には行かない。狙った獲物は必ず仕留める。だがやってやれない事もある。負け戦と知りつつも男なら逝かねばならぬ散らねばならぬ大峠。道路に人生を捧げた男の生き様を見るがいい。

 

大峠(国道121号線)7-1/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

幅員は見た目以上に広く感じられ、足を踏み外したら恐らく助からないであろう底の見えない右側の斜面は、無理に覗き込めばそれこそ足がすくむほど怖いのであるが、ただ路面中央を普通に走行する分には全く恐怖感はない。開設当初からこの場所には一度もガードレールなど設置された事はないのであろう。今でこそ普通車同士の離合も何とか可能な幅員を有するこの場所も明治に初めて

大峠(国道121号線)7-2/ORR

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馬車を通した時点ではもっと狭く、もっと恐ろしい道程であったに違いない。断崖絶壁の林道から滑落するという事件が現在でも聞かれる中、今よりももっと貧弱であったこの道で多くの人が命を落としたであろう事は容易に想像が付く。今と違って一昔前の峠越えはまさに命懸けであり、現在のようにホイホイと気軽にいくつもの峠を越せるような時代ではなかったから、現在でもうんざり

大峠(国道121号線)7-3/ORR

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するほどの長さを誇る大峠旧道に、人々は実際の距離以上に長く感じたに違いない。体の弱い人や老人などは途中で息絶え、まだ見ぬ向こうの景色を目にする事なく散っていったに違いない。当時の人々にとってここは越したくとも容易には越せぬ、まさに大きな峠であったのだ。振り向けば尾根のV字が見える。丁度その真下辺りに大峠隧道が突かれているはずだ。そこがどんなに険しく

大峠(国道121号線)7-4/ORR

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山深い場所であったとしても、昔の人々は立ちはだかる山脈の一番低い箇所にちゃんと狙いを定めていた。それはこれまで見てきたどの峠においても例外は無かった。登山道のような道が主要路である時代にあって、馬車道規格の道路を通す事は容易でなかったはず。それこそ技術不足は否めず、ほとんど手探り状態ではなかったか。今でこそ技術革新により本来の峠とは全く別の場所に

大峠(国道121号線)7-5/ORR

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道を通す事も可能となった。昔のように尾根の一番低い箇所に狙いを定める必要はなくなった。自然に従うのではなく、自分達にとって都合のいいように、自在に路線を操れる時代になったのである。大峠の旧道と現道はまさにその代表的な例と言える。それは全くの別路線に等しい位置取りで、檜原峠から大峠へと舞台を西へ移した時もサプライズだが、大峠道路は更に西へと大きく移動し

大峠(国道121号線)7-6/ORR

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それも高速道路並みの長大トンネルに生まれ変わるなんて、流石の三島君も想像すら付かなかった事だろう。三島君が残した偉業のひとつ大峠旧道も、もうじきその生涯に幕を閉じようとしている。法面には所々にごついコンクリの塊が埋め込まれている。かなり後年になって設置されたのだろうか、古いもののようには見えない。ほとんどは昔風の鉄骨に金網を施した落石防護壁が連なって

大峠(国道121号線)7-7/ORR

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いる。それが土砂もろとも押し流され、単車1台がやっとという危険な箇所に突入した。勿論ミスったら恐らく助からないであろう。崖下を覗き込み生唾をゴクリと呑み込む。コンクリのガードを抜けて初めての難所であるが、これによりここより先四輪での通過は完全に断たれ二輪以下の世界となる。

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