ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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大峠(13)

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大峠の取扱説明書

全国に大峠と名の付く峠は数あれど、最も名の知れた大峠とは福島と山形に跨るこの大峠を指すのだろう。決して派手な訳ではなく、現役時代はかなり地味な存在であったと伝え聞く。僕はこの峠の現役時代を知らない。大峠越えがいかに困難であったのか、旧道となった今では想像するしか手立てはないが、かつてこの道に車両が通っていた時代の再現を試みたい。と、これまでも幾多の勇者達がこの峠に挑み、そして散っていった。他聞に漏れず若かりし日の僕も大惨敗を扮し苦汁を舐めた。だがこのまま黙って引き下がる訳には行かない。狙った獲物は必ず仕留める。だがやってやれない事もある。負け戦と知りつつも男なら逝かねばならぬ散らねばならぬ大峠。道路に人生を捧げた男の生き様を見るがいい。

 

大峠(国道121号線)13-1/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

唯一残された貴重なダート区間から見えた法面の付近までやってきた。遠目からコンクリの表層に覆われた絶壁は、実際に目の前にするとそのド迫力に圧倒される。上を見上げても下を覗き込んでもそこには足の掛場もないような断崖絶壁が広がっているのだ。良くもこんな登山家も寄り付かぬような場所に道を付けたものだと感心してしまう。それもベースになっているのは明治に造られた

大峠(国道121号線)13-2/ORR

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ものなのだ。その時代は法面だって地肌丸出しで、いつドサっと大量の土砂崩れが発生してもおかしくはない状態にあったと思う。幅員だって今よりもずっと狭い訳だし、路肩も軟弱、路面もダートで凹凸が激しく、行き交う荷車や馬車はいつ崩れてくるやも知れぬ側壁に怯えながらの通行を余儀なくされていたに違いない。今日現在道床ごとごっそり消失してもおかしくはない程の断崖路には、

大峠(国道121号線)13-3/ORR

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ガードレールの1本も設置されてはいない。勿論落ちたら助からないのは僕が保証する。由緒正しき血統書付きのデンジャラスロードの開削を指示した三島君は、当時出来たてホヤホヤのこの道を見てどう思ったのだろうか?今でこそ上から下までガチガチのコンクリとアスファルトによって覆われ,パッと見安心感がある。しかし開削当時は現在の作業道に近いただ山の斜面を削っただけの

大峠(国道121号線)13-4/ORR

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状態に近かったのではないだろうか?荷車同士の離合もままならないような電撃ロードは、現代人なら金を貰っても通りたくないような道であったに違いない。ただ幅員が1mあるかないかの人道が主要街道なんていう時代に、幅員が2mもあればそれは立派な道に見えたのは間違いない。現代においても歩道サイズまで縮小した廃道が、軽1台分まで幅員が回復すると随分立派な道に

大峠(国道121号線)13-5/ORR

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出たなと感じるのと同じ感覚ではなかったか。それにしても昭和になってから現在の4m幅まで拡幅したとされているが、それ以前は離合にはどう対応していたのだろうか?現状でも普通車同士の離合が厳しい区間がほとんどだと言うのに、砂利道時代にここを定期バスが走ったのだ。勿論運行前にはバスを通すのに適した路線かどうかは人の命を預かる以上、専門家によって厳密に判定

大峠(国道121号線)13-6/ORR

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されただろうから、ゴーサインが出たという事は、当路線が一定の基準を満たしているはず。営業許可が下りたという事は、お上からのお墨付きを得られたという事だ。確かに勾配も自動車に対応していて非常に緩やかだし、昔のバスなら全然問題が無いような幅員が続く。但し道中には離合箇所がほとんど設けられてはいないのが現実だ。4m幅があるという事は理論的に普通車同士の

大峠(国道121号線)13-7/ORR

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離合は可能という事になる。しかし山形側のほとんどが断崖絶壁路に当時は生粋の砂利道だ、それに路肩も軟弱であったはず。現代交通事情しか知らない若輩者には、当時の様子が全く見えて来ないが、僕はそのヒントになりそうな経験を、全く別の場所でしていたのだ。

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