ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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川原隧道(2)

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川原隧道の取扱説明書

昭和初期、大正、明治と様々な時代の隧道を調査してきたが遂に江戸時代の隧道の登場である。しかも単なる手掘りではない。日本土木史上稀に見る貴重な物件である川原隧道とはいったいいかなるものなのだろうか?

 

川原隧道2-1/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

何とか石畳らしい道になったが肝心の川原隧道は全く現れる気配はない。熊野古道のように全国的に認知されている道でもなくマイナーな県のマイナーな町に年間訪れる観光客数も知れており最低限の整備しかされておらず、その光景はまるで別世界である。ここだけが江戸時代のまま取り残されてしまったかのようである。

川原隧道2-2/ORR

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今にも籠を担いだ人や荷を乗せた馬が現れても何等不思議ない感じではある。日田玖珠往還と呼ばれかつては主要街道として賑わったはずである。現在は川と並走する3桁国道であるが絶壁沿いの淵が多い厳しい条件は今でも変わらず当時の技術では川沿いを切り開く事が出来ずわざわざ山越えルートで隧道を掘削してもその方が遥かにリスクが少なかったのかも知れません。

川原隧道2-3/ORR

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北海道と本州をトンネルで繋ぎ四国と本州を橋で繋いでしまう近代技術を持ってしては金さえあれば出来ない芸当などないのかも知れません。その対極にあるような川原隧道は江戸時代の土木技術を知る上で大変貴重な隧道である事は間違いありません。

川原隧道2-4/ORR

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瀬戸大橋や青函トンネルといった近代建造物から明治のレンガ隧道まで見てきたこの目に江戸時代の隧道は果たしてどのように映るのだろうか?1本道であるだけに徐々にターゲットに近づいている事だけは間違いないのだが前方には何も見えてこない。それどころか鞍部が見えてきており不安は募る。

川原隧道2-5/ORR

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もしかして崩壊し現在は隧道跡だけしか残ってないのではなかろうか?昔あった峠の茶屋などは人が住まなくなるとあっという間に廃屋となりやがて朽ち果てかつてそこに茶屋があった事など微塵も感じさせないような状況に陥っていたりする。かろうじて立ててある茶屋跡と書かれた杭がなければ単なる山林という箇所は全国に五万とある。

川原隧道2-6/ORR

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川原隧道もそうなっていなければいいが。と、道が直角に左に曲がっているではないか!なんじゃこの造りは?もうちょっと緩やかなコーナーを描けなかったのだろうか。直進は造成地のようにやたら平らな敷地が広がっている。これぞここに茶屋か何か建物があったのではと思える状況である。そして次の瞬間、僕は目の前に待ち受ける異様な黒点を目の当たりにし、しばし言葉を失う。

川原隧道2-7/ORR

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かっ、かっ、川原

川原隧道だ!

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