ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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青の洞門(2)

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青の洞門の取扱説明書

菊池寛の小説「恩讐の彼方に」で一躍有名になった青の洞門。僕はこの小説を読んだ事が無いし、青の洞門に関する歴史認識も持ち合わせていない。従って先入観なく非常にフラットな状態で挑む事となる。後にこの隧道に関する様々な逸話を知る事となるが、驚くべき事を最初にひとつだけ挙げておこう。それは青の洞門が江戸ッチャーである事だ。僕はそれさえも知らずに洞窟への潜入を試みるのである。

 

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

もうお気付きであろうが、青の洞門は単体の隧道ではない。複数個の隧道が連続して掘られており、それらを総称して青の洞門と呼んでいるのである。市の公式サイトによれば削道の延長は342mで、その内隧道の総延長は144mであるという。なーんだショボイじゃん、と思うなかれ。なんとこの隧道槌とノミのみで、人力による掘削が成されたのである。それも最初はたった一人でだ。

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現在でこそ対岸の土地が改良され、この断崖絶壁の岩壁に何故活路を見出せばならなかったのか不思議に思えてならないが、当時は岩壁に張り付くようにして行き来しなければならない大変危険な道であったそうな。その難所は鎖渡しと呼ばれ、今でも遥か頭上の岩壁にその道筋が残っている。年間にして十名程度が足を踏み外し、落命したとされる鎖渡しの難所。そこへ旅の僧が通りかかる。

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聞けばここは相当な難所で、実際に鎖渡しを見た旅の僧は、ここに隧道を突く事を発案する。それが後に大偉業を成し遂げる禅海上人である。早速近くの羅漢寺に身を置き、槌とノミを持って現場でカキンコキンと岩壁を削り始める。その光景を見て村人の誰もがこう思った。あのおいちゃん頭おかしいんちゃうん?まあ予想通りというかお約束通り誰も手伝う者はいなかった。

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来る日も来る日も禅海上人はカキンコキンと岩壁を打ち続けた。それでも村人は嘲笑ったという。いったい誰の為に毎日数センチ程度しか掘り進めないであろう苦行を買って出ているのであろうか?それは誰の為でもない、ここを常用的に利用する村人達の為ではないか。村人達は何もしないばかりか、禅海上人の行為を小馬鹿にする者も少なくなかったという。

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確かにそれまで遥か頭上の鎖渡しという、人一人がやっと通れるような道を、拡幅しようとかいう案ならまだ現実味があり、村人ものってきたかも知れない。しかしその遥か下の岩盤を刳り貫いて人道を通そうなどという発想自体がそもそも突拍子もないものであり、当時の人々には受け入れ難いものがあったのだろう。当時この界隈に隧道というものが存在したかどうかは定かでないが、少なくともこれまで目にしてきた隧道の中では、ダントツに古い隧道である青の洞門。

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恐らくこの地では隧道という存在自体が全く認知されてはいなかったが、各地を行脚してきた禅海上人は、隧道掘削という土木事業をその目で見た事があるのかも知れない。またそれにより確かな手応えと勝算があったのかも知れない。しかしこの青という村で生まれ、この地で一生を終える村人達にとっては、隧道貫通という青写真は描けなかっただろうし、その概念自体が理解し難いものであったはず。

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見た事もなければ聞いた事もない物に対し村人達が抵抗感を示したのも、見聞見識の違いとすれば仕方がない事なのかも知れない。それでも禅海上人には迷いなどなかった。その後も独力で掘り進み続けるのである。

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