ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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青の洞門(3)

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青の洞門の取扱説明書

菊池寛の小説「恩讐の彼方に」で一躍有名になった青の洞門。僕はこの小説を読んだ事が無いし、青の洞門に関する歴史認識も持ち合わせていない。従って先入観なく非常にフラットな状態で挑む事となる。後にこの隧道に関する様々な逸話を知る事となるが、驚くべき事を最初にひとつだけ挙げておこう。それは青の洞門が江戸ッチャーである事だ。僕はそれさえも知らずに洞窟への潜入を試みるのである。

 

青の洞門3

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

左に何か妙な穴が見えるが、気にしないで話の続きを聞いて欲しい。禅海上人は越後の出身であり、この地とは何の関わりも持たないのである。言うなれば単なる通りすがりの身に過ぎない。なのにこの地に執着したのは何故だろう?僕は思った。やはり禅海上人は旅の途中で隧道というものをその目で見たのではないか。そして実際に自分で通る事によって、どれだけ多くの人が安全に安心して通行できるのかを体感したのではないだろうか。

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そして隧道というものを豊後の地に伝えねばという使命感のようなものを禅海上人は感じたのではないか。となるとこの地に初めて隧道を伝えた者は、禅海上人という線が浮かび上がってくる。県内において僕は青の洞門より古い隧道を知らない。勿論それは全国的に見てもなんだが、比較対照物としてまず真っ先に思い浮かぶのが、川原隧道である。

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町の公式サイトによれば竣工は1854年で、今から約150年前であるからして間違いなく江戸ッチャーであり、記録によれば官が正式に依頼したとされる列記とした公共事業である。それに対し青の洞門は官から発注された公共事業でも何でもなく、禅海上人が単独で始めた慈善事業である。同じ隧道ではあっても造られた経緯が全く異なる二つの隧道を比較するのはナンセンスなのだが、竣工年だけはひとつの目安となろう。

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聞いて驚くなかれ、なんと青の洞門は記録によれば竣工が1750年なのである。今から約250年も前の事であり、川原隧道が開通する実に100年も前の話なのだ。この途方もない数字には流石に度肝を抜かれた。この界隈に眠る重宝がられる隧道群のほぼ全てが明治以降の構造物である。川原隧道は元号が明治となる僅か14年前の話であり、なんとなく親近感が沸く。

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それは我々が明治生まれの人達と同じ時代を共有しているからに他ならない。少なくとも僕が物心ついた時点で慶応生まれの人はこの世にいなかったし、住民票の類で印を付ける選択欄に明治・大正・昭和はあっても慶応は無かった。現代人は江戸時代との接点が無く、教科書や時代劇などで知るしかない遠い世界の話で、下手すると民話とかおとぎ話とか、どこか現実味のない話に聞こえてしまう。

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だが青の洞門は当時のままの状態で現物がそこにあるのだ。これ以上のリアリティがいったいどこにあろうか?分かり易く説明すれば1603年徳川家康が征夷大将軍に任命され、2003年羽賀研二が誠意大将軍に任命されるまでの400年間のうち、世の大半の隧道は後年130年以内に造られたものなのだ。従って竣工後100年を迎えるか否かが、長寿隧道としてひとつのボダーラインとなるのである

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。それを楽々クリアしたのが川原隧道で、竣工後150年が経過している事を知った時にも随分驚いたものだが、青の洞門はその比ではなかった。何故ならば川原隧道は幕末であり、青の洞門はバリバリの江戸中期だからだ。

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