ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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大峠隧道

★★★

 

 

大峠隧道の取扱説明書

福島と山形に跨る大峠は、限りなく尾根に近づけるアプローチの長さから、直接鞍を跨いでも良さそうなものだが、そこは栗子でドデカイ花火を打ち上げた三島君だ。直登させまするか、それともまたぶっ放しますか?の問いに、沈み行く夕陽を眺めながら彼は頭の中で大峠の未来を思い描いた。しばし沈黙が続くが窓越しに背を向けたままの彼から一向に返事はない。当たり前だ、三島君は寝ていたのだ。流石大物だ。煮えを切らした直属の部下はハリセンで三島君を叩き起こした。その時歴史は動いた。椅子から飛び上がった三島君はズボンとブリーフを脱ぎ下ろし直属の部下にお尻を突き出し大きく割って見せたのである。それは正式な隧道掘削開始命令、大峠に新たな命が吹き込まれる歴史的瞬間であった。

 

大峠隧道

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

大峠隧道、盛夏の時期には巨大なアフロと化し、坑門の周囲全てを緑が覆い尽くす中にポッカリと口を開けるだけで、その全容を拝む事は容易ではない。人間と同じく脱毛が著しい晩秋の頃には地肌も丸見えで、坑門をじっくり堪能したいのであればシーズンオフに訪れるといい。見上げれば尾根は手の届きそうな位置にあり、切り通しは無理にしても、あと数回九十九俺を繰り返せば

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空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

直登も可能であったはず。もっと標高の低い箇所にて峰越えを果たすならば、隧道を突くという手段は必然であるが、これだけ尾根が近いとチョイスの仕方が間違ってやしないか?と首を傾げざるを得ない。冬期通行を可能にするという目的があったならば話は別だが、どう考えてもここは豪雪地帯であり、やはり栗子で世に名を馳せた三島君のゴリ押しでやっちゃったと考えるのが妥当

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お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

だろう。峠の越し方は直接鞍を跨いでも隧道でも良いのだが、おいしいのはどちらも残っている事である。だが大峠はそれまでの主要街道とされる檜原峠経由米沢街道に変わって新設された、物資の大量輸送を可能とする馬車道である。よって隧道ある所に旧道アリの鉄則は通用せず、この峠に初めて通されたのが大峠隧道である訳だが、そんな事とは露知らず僕はどこかに旧道は

大峠隧道

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

ないかと、無駄に調査していたのはここだけの秘密である。さて大峠の歴史なるものを拝読すれば、隧道を含む大峠旧道全体が、昭和になって大改修を施された事が分かる。なるほど、僕が大峠旧道を直感的に面白くないと感じていた理由が鮮明になった。それは今日どこにでも見られるような線形へと改修され、開削当時の面影がほとんど消し去られている事が、生理的に受け付けない

大峠隧道

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

最大の要因であった訳だ。これで何となくすっきりした感がある。現在見られるこの大峠隧道も、昭和の大改修でコンクリの隧道へと生まれ変わっている。しかし大峠隧道は単なるコンクリ隧道ではなく、表層にコンクリを噴き付けしたタイプで、現行のトンネルとは明らかに異なる。コンクリ隧道でも昭和初期から中期にかけての職人の技がもろに反映されるアナログチックなところが、機械任せの

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ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

現代のトンネルとは、別物と思って差し支えない。明治のレンガ隧道や石組みの隧道は確かに迫力があり、圧倒的な存在感で我々を魅了する。しかしそれらは身近に感じられない。接触し損なった曾爺ちゃんみたいな、どこか家系図の遠くの隅にあるような存在の人物に近い印象がある。昭和に生まれ昭和に育った者としては、やはりコンクリ抜きには語れない。それもまだ人の手によって

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ビストロORR(日刊ORRへの御案内)

調整されていた頃の波打った表層に、何ともアナログチックな人間臭さを感じ、コンピュータで弾き出された寸分の狂いもない滑らかな完全バージョンではない、いい意味での昭和がそこにはあった。竣工当時の先代の姿が拝めないのは残念だが、僕は大峠隧道に大いに満足したのである。

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