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www.henari1.jp ORRの道路調査報告書 ODA ROAD RESEARCH

〜ツーリングマップルで訪ねる万の峠と億の道〜

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トップ>旧道データバンク>北海道(道央)>石狩支庁>送毛峠の実走調査レポート

送毛峠()

★★★★

送毛峠4-1

◆送毛峠4−1:峠に残る錆びた支柱

送毛峠を路線バスが往来

鼻から路線バス通行説を疑らない訳では無かった。しかし沿道にはそれを予感させるような残像も無ければ、心躍るような明確な物証も乏しく、バスの往来を疑るのは少々無理があるように思えた。

現場の状況からやや懐疑的にならざるを得なかったのだが、それに拍車を掛けるたが仰天エピソードに事欠かない他の錚々たる峠道に比し、明らかに劣勢と思われる浅薄な歴史的背景で、僕の中では自然と“無し”の方向に傾倒していた。

送毛峠4-2

◆送毛峠4−2:頂から厚田方面を望む

この山道は兎にも角にも車道としての歴史が浅い。国道231号線の全通は平成の足音が聞こえ始めた昭和の晩年の事である。尤もそれ以前より国道指定が成されてはいたが、あくまで自動車の通行を許さぬ登山道に毛が生えた程度の徒歩道を指定したに過ぎない。

泣く子も黙る雄冬岬と旧日本軍でさえ車両のゴリ押しを断念した濃昼山道を繋ぎ合わせた海岸線は、まさに机上の空論以外の何者でもなく、そのような路線に多くを望むほうがどうかしている。従っていつもなら真っ先に路線バスの存在を疑う僕も、この時ばかりはすっかり油断していた。

送毛峠4-3

◆送毛峠4−3:藪に埋もれる石碑

山道の付帯設備は、多くが最新式の物に刷新されてはいるが、沿道の隅々を注意深く観察すると、幾つかの過去の遺物を拾い上げる事が出来る。すっかりオブジェと化した錆び錆びの支柱。そこにはこれより先の七曲りの難所に挑むにあたり、注意を促す警戒標識が掲げられていた可能性が大だ。

送毛山道に抜本的な改修の手が加えられたのは昭和27年である。予算の都合により29年度は一時的に工事が休止されるも翌30年には再開され、昭和33年遂に送毛山道にトラックの往来を許す車道が完成する。その開削途中の昭和28年に、山道は二級国道231号札幌留萠線の肩書を得る。

送毛峠4-4

◆送毛峠4−4:大胆な改良が成された送毛側

送毛山道は車道開削以前の昭和28年に国道を名乗り、昭和33年には晴れて自動車の通行を許した。そして昭和51年の送毛トンネル開通まで、札幌と留萌の都市間を連絡する主要路線の一部で有り続けた。つまりその事はこの峠道が、20年近い長きに亘り国道として存在し続けた事を意味する。

20年近く国道を名乗った送毛山道

有名無実の点線国道や登山道紛いの路と異なり、実際に大型車の通行を許す至極真っ当な路という事であれば、弥が上にも路線バス往来説が現実味を帯びてくる。

送毛峠4-5

◆送毛峠4−5:インコースの浅藪が旧国道

かつてはバス停が置かれていたという峠には、過去を偲ばせる二つのオブジェが存在する。ひとつは木々に隠れるようにして佇む錆びた支柱で、もうひとつが藪の中に埋もれる二体の石碑だ。両者は車道よりも一段高い場所に位置し、草木が生い茂る時期は路上よりその姿を拝む事は出来ない。

それらの遺物は何故車道との距離を隔て、わざわざ目の届き難い高台に身を潜めているのだろうか?その理由は当山道の改修にあった。現在我々が知る送毛山道は、大部分が送毛トンネル開通後に村道へと格下げされた後に改良された新規格の路で、国道時代のそれとは程遠いのである。

送毛峠4-6

◆送毛峠4−6:国道時代の残骸が遺るヘアピン

村道に降格してから抜本的な改修の手が加えられた山道は、往時とは似ても似つかぬ高規格道路となり、実は目を凝らせば国道時代の残骸が沿道のあちらこちらに散見される。その筆頭が余裕あるコーナーを描く舗装路の内側に残る窮屈な砂利敷きのカーブで、それが旧国道本来の姿なのだ。

現在の頂も国道時代より1mほど掘り下げられ、かつての峠とは線形の一切合財を含めた容姿が一変してしまっている。古老が七曲りの難所と称した峠道は、行き来するだけでも難儀したそうだが、旧道の厳しい線形を見る限り大きく頷ける。四輪を通したとは言え手放しで喜ぶものではなかったと。

送毛峠4-7

◆送毛峠4−7:快走路の終点

過去の狭隘な険路は鳴りを潜め、今日ではなかなかの快走路となった送毛山道。その道中に観光資源の千本ナラがあるとはいえ、よくもまあここまでの抜本的な改修を村費で賄ったものだと感心するが、そこにはちょっとしたカラクリがあった。

村人の一人が吐露する。送毛山道の大改修には国からの補助が出て、工事は浜益・送毛の双方から推し進められ、何期かに分けて施工したのだと。ところが財政難の折工事は突然で中断し、中途半端なまま現在に至るという。中途半端・・・

送毛峠5へ続く

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