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www.henari1.jp ORRの道路調査報告書 ODA ROAD RESEARCH

〜ツーリングマップルで訪ねる万の峠と億の道〜

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トップ>旧道データバンク>北海道(道央)>石狩支庁>送毛峠の実走調査レポート

送毛峠()

★★★★

送毛峠5-1

◆送毛峠5−1:凹凸の激しい悪路

小春日和の道程に何の前触れもなく終止符が打たれたのは、峠から下り始めて間もなくの事である。突如寸断されたアスファルトの先には、信じ難い光景が広がっていた。のっけから路面の一部が深く抉られた凹凸のある砂利敷きの悪路で、落差が激しい継ぎ目の段差には恐怖すら覚える。

宴は終わったのだよ、明智君!

車高の低い車だと下腹を擦るのは必至で、オンロードバイクは慎重に慎重を期さねば即転倒に繋がるほどの荒れ様だ。事実この継ぎ目を克服できず、転倒した挙句螺旋骨折した人物を僕は知っている。

送毛峠5-2

◆送毛峠5−2:舗装非舗装の接点は結構な段差

そう、大多数の人間が千本ナラで折り返す理由がこれだ。中途半端に終始した村道の改修工事とは、まさにこれより始まる未舗装区間の事を指す。未完に終始する問題の工区が牙を向くその接点は、二輪・四輪を問わずすっかり快適な舗装路に慣れ切った現代人に、大きく揺さぶりをかけてくる。

ここに至るまでの過程が余りにも緩く、また砂利道の予兆が皆無である為、ルンルン気分でやってきた仔羊はここで間違いなく絶句する。そしてカーブを曲がればそこは砂利道だったという過去の忌わしい経験を引っ張り出しこう嘆くのである。

ブルータス、お前もか!

送毛峠5-3

◆送毛峠5−3:砂利道直後に迎えるヘアピンカーブ

ここまでの道程がすこぶる順調であるがゆえに、とっくの昔に全線舗装が成立していると思い込み、軽い気持ちで進入し痛い目に遭う者が少なからず存在する。確かに今来た道を戻るというのは、各人大なり小なり抵抗があろう。叶うならば行き切りたい、そう願うのは僕も同じだ。

ただここは結構ヤバイ。砂利道に切り替わるとすぐにヘアピンカーブを迎え、そこでのブレーキポイントを誤ると、谷底に真っ逆様となる。谷間を挟んだ丁度向かいの峰に、横断する林道の姿が捉えられるが、ここから足を踏み外すという事は、対峙する林道上から滑落するのに等しい。

送毛峠5-4

◆送毛峠5−4:ガードレールの無い急崖の山岳路

臆病なほど慎重に通過すれば何等問題は無いが、道路に不慣れな者が舗装路と同じような感覚でアスファルトの勢いそのままに下ったとしたら、千の風になってあの大きな空を吹き渡るのは必至である。事実過去にはこの急勾配急カーブを曲がり損ね、谷底へと消えていった車両もあるという。

本来ならばここにはガードレールが組まれ、前後には危険を知らせる警戒標識にカーブミラーもあって然るべきだが、そこには付帯設備の一切が備わっていない。勿論それらが設置され万全の体制であったとしても、全ての事故がカバーできる訳ではない。

送毛峠5-5

◆送毛峠5−5:コーナーの幅は四輪同士の離合を許す

荷物満載の大型トラックが突っ込めばそんなものひとたまりもないだろうし、バスも然りだ。そう、この山道は国道231号線として拓かれたものであり、かつては路線バスも走った由緒正しき峠道なのだ。その開削当時と何等変わらないのが、この魔のヘアピンカーブなのである。

送毛山道が国道を名乗っていた黄金時代、七曲の難所と呼ばれるこの急坂急カーブの難路を、全ての車両が喘ぎ喘ぎ越えていた。送毛側からの登りはまだマシで、浜益側からの下りは特に細心の注意を払わねばならなかったという。重ステアリングを操っての峠越えは筆舌に尽くし難い重労働だ。

送毛峠5-6

◆送毛峠5−6:大型車一台分まで狭まる直線

今のように女性でも片手でスイスイとハンドルを回せるような時代では無い為、ハンドル捌きひとつが生死を分ける重ステ時代は剛腕運転手の独壇場で、圧倒的に不足していた戦後日本の車両事情も相俟って、車の運転そのものがステイタスであり、特に大型の運転手は当時の花形産業であった。

地元の古老談によると、国道時代のこの峠道を往来するほとんどの車両が大型であったという。そして現役時代からコーナーの膨らみは、大型車一台を通すのに必要にして充分な幅員を有していたと言うから、未舗装路のまま現存するヘアピンカーブが、開削時の状態を保っているとみて良かろう。

送毛峠5-7

◆送毛峠5−7:開削当時の状態を維持する未舗装区

古老は語る、開通当初から厚田側は七曲りの難所と呼ばれ、この峠道を日常的に往来するドライバーに恐れられていたのだと。また自動車が滑落する事故もたびたびあったとも。

七曲りの難所

プロのドライバーでも緊張を強いられたという七曲りの難所、それが解消されたのは昭和51年である。以後この峠道は浜益村へ移管された訳だが、工区の継ぎ目に設置された工事の概略を示す木柱に、現在の路線名が記されていた。

送毛峠6へ続く

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