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〜ツーリングマップルで訪ねる万の峠と億の道〜

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トップ>旧道データバンク>北海道(道央)>石狩支庁>送毛峠の実走調査レポート

送毛峠()

★★★★

送毛峠6-1

◆送毛峠6−1:旧道の面影を残す1.5車線路

村道昆砂別送毛線、それが一般に送毛山道と呼ばれる峠道の正式名称である。トンネルの開通により国道の肩書を返上した山道は、浜益村へと移管され、その後国の助成金を頼りに細々と整備が続けられてきた。その結果がこれである。尤も現在は石狩市に編入され石狩市道を名乗っている。

浜益村道昆砂別送毛線

昭和33年に国道231号線の全通に先駆け部分開通した送毛山道は、5年後の昭和38年には濃昼までその足を延ばし、巨大都市札幌を目指し懸命な開削工事が続けられた。その過程で特に難航したのが濃昼山道の開削である。

送毛峠6-2

◆送毛峠6−2:部分的に拡張されている未舗装区

大日本帝国陸軍でさえ軍用車両での踏破を断念したという濃昼山道は、送毛山道の比ではないほど手強かった。かくて北海道開発局は山道の開削を早々に諦め、トンネルぶち抜き作戦に打って出る。赤岩430m、ブトシマナイ880m、ルーラン165m、大沢614m、滝の沢584mと一心不乱にトンネルをぶっこ抜き、感極まった土木部長が思わず叫んだ。

見よ、あれが札幌の灯だ!

歓喜に酔いしれる土木部長に、あれは厚田市街地の待灯りなんですけどとツッコミを入れる者は誰一人いなかった。

送毛峠6-3

◆送毛峠6−3:かつて存在した石狩カーフェリー

濃昼山道の克服により石狩方面から厚田まで迫っていた国道と接続し、昭和46年遂に村民の悲願であった札幌と浜益が一本の線で結ばれる。但しその時点ではまだ全通とは言い難い状況にあった。何故ならば当時の石狩川には橋が無く、カーフェリーという名の渡し船が主役を担っていたからだ。

分断国道を繋ぐ生命線・国道フェリー

両岸の主な目印がたばこ屋というのがいかにも昭和チックで、なかなかの趣がある。またGSや農協はよしとして、僕は名も無き理髪店の存在が気になって仕方がない。僕の経験則からすればこの店は、理髪店ヤングである可能性が高い。

送毛峠6-4

◆送毛峠6−4:舗装を待つのみの工区

理髪店ヤング(仮)を曲がると、フェリー乗り場はもうすぐだ。対岸に待合所の文字が浮かぶが、当然厚田側にも待合所があったはず。フェリー待ちのドライバーはそこで一服していたと思われるが、長距離を無休で強行するドライバーの抑止に繋がったと思えば、渡し船での半強制的な休息も悪くはない。

橋が無い事の不便さも然る事ながら、運行が24時間体制でない点も国道にあるまじき愚行で、唯一の救いが利用料がタダという点だが、たばこ屋や理髪店ヤングの経営を思えば、橋桁に爆薬を仕掛けてでも1日でも長くこの状態を維持する事が本意であったろうが、無情ながらもその日はやってくる。

送毛峠6-5

◆送毛峠6−5:規格は林道と遜色ない旧国道

昭和47年遂に石狩河口橋が部分供用を開始し、これ以て晴れて札幌−浜益間が自走可能な国道に生まれ変わると共に、北海道開発局の面目も保たれた。逆に寄らば大樹の陰で石狩カーフェリーの存在を当てに生計を立てていた理髪店ヤングを筆頭とするフェリー乗り場周辺界隈の店は閉店を余儀なくされ、店主は鼻歌交じりにこう呟いたという。

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送毛峠6-6

◆送毛峠6−6:路線バスも駆け抜けた樹林地帯

真の全通を果たした国道231号線に、長距離バス待望論が持ち上がるのは必然で、沿線住民の期待に応え札幌と浜益を結ぶ直通バスが出現したのは、河口橋が供用を開始してすぐの事である。元来鉄道の無い地域だけに、生命線となる路線バスの開設は地元住民の悲願で、昭和47年に成就する。

ただ長距離バスの開設と引き換えに失うものもあった。それが浜益と滝川を結ぶ路線バスである。海岸道路の全通まで浜益より内地へ向かう唯一の交通手段として、長きに渡り活躍した四番川経由の路線バスは、国道231号線の全通に伴い廃止に追い込まれた。

送毛峠6-7

◆送毛峠6−7:藪に埋もれる国道時代の付帯設備

札幌直通バスは浜益村民が長らく待ち望んでいたものではあるが、それは手放しで喜べるものではなかった。何故ならば送毛トンネルの開通までまだ5年近くも待たねばならなかったからだ。国道は石狩川を克服した。だが七曲りの難所は旧態依然としており、バスは必然的に峠越えを余儀なくされた。

トンネルの開通を待たずして営業を開始した札幌直通便。その行程で最大の障害となった送毛峠。だがこの砂利道が元国道である事に加え、バス路線という実績を残した意義は大きく、開設に踏み切った関係者の行動は称賛に値する。

送毛峠7へ続く

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