ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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細川柱本隧道(1)

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細川柱本隧道の取扱説明書

芋谷川に近い事が理由であろう、巷では芋谷隧道と呼ばれる小さな小さな手掘り隧道がある。細川柱本のトンネルとか手掘りトンネルとか今もって名称が定まっていないのは、この隧道にまつわる確証級の手掛かりが得られていないからに他ならない。扁額もない、地元の証言も得られない。いったいいつ頃突かれ、坑門は掘削と同時に装飾を施されたのか、後年に成されたものなのかさえ分からない謎多き隧道である。もしかして近畿圏初の江戸ッチャーという可能性も含んでいるミステリアスなお宝物件である。

 

細川柱本隧道

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木漏れ日射す杉木立の斜面にそれはあった。コンクリの路面とはおよそ比較にならないほど古風な形状をした隧道が口を開けている。それもかなり小さい。隧道右脇には人道が直登している。これが隧道開通以前の峠越え道だろう。そして隧道手前の広場であるが、これは転回場所として機能していると思われる。何故なら普通車でも小型のものがギリギリガールズで一般的には

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軽自動車しか通れないと思って間違いないからだ。紀見峠旧道には市の観光協会が立てた手掘りトンネル1.4kmの看板がある。という事は細川柱本隧道には我々のような道路探索者のみならず一般の方々も数多く訪れている訳で、何も知らない人達はここまで普通にエルグランドとかで入って来る訳だ。そして隧道を見た瞬間エスグランドでなければ通れない事を知る訳である。

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よって隧道手前までは簡易舗装を施したし、転回場所も用意した訳だ。どうだい?この小ささ。ヘナリワンが四重の塔であったならば中央しか通れない高さ、幅員は1車線ある、しかも向こう側の光も見えている。逝けるんちゃうん?誰もがこう思うのも無理はない。しかし立ち位置を変えるとあら不思議、たちまち向こう側の光は見えなくなるのだ。いったいどういう事なのだろうか?

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それは内部が屈曲しているからである。細川柱本隧道の距離はそれほど長くはない。しかし直線ではないのだ。それも内壁が石組みなのも入口から数mで、岩盤剥き出しの荒々しいテボッチャーは実高実幅はそれほど変わらなくとも圧迫感は1.5割増し、オマケに路面はダートである。これでは般ピーが進入する気になれないのも当然である。いくら観光地とは言え、照明類などの

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付帯設備は一切用意されていないので、マグライトくらいは持参した方がいい。路面は意外とフラットで走り易い。お婆さんの証言から昭和後期まで地元の軽トラが行き来していたらしいが、今では自動車で通り抜ける人は皆無に等しいとの事。細川柱本隧道は古道から生活道路へと変化し、今では観光施設(道路遺構)としてのみ機能しているようだ。さて問題の竣工年であるが、

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それがさっぱり分からない。隧道探索者のバイブル全国隧道リスト(山形の廃道)にもその名は記載されていないし、お婆さんの口からもそれは明かされる事は無かった。唯一の判断材料、それは坑門の形状だ。当初僕は大分の川原隧道との比較を試みた。もしかしたら江戸ッチャーという線も考えられるからだ。細川柱本隧道の坑門は歪ながらもリングアーチが形成されるも、それを

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固着させる石の形状とその組まれ方が独特で、時代を反映するものなのか、技術不足なのか、どこかの隧道を真似たのかが分からないので時代を特定するのは非常に困難である。左右と上部の石垣も乱れ積みで、装飾は最低限のみの構造体としては非常にシンプルな謎多き隧道である。

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