ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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九人ヶ塔隧道(2)

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九人ヶ塔隧道の取扱説明書

国東半島の付け根に位置する別府と中津の丁度中間付近の山中に、ゆくゆくは重要な土木遺産に指定されるであろう希少価値の高い隧道が眠る。近年宇佐市に吸収された院内町と安心院町。かつて隣り合っていた二つの町の境界線上に、その昔から人馬の通行さえ容易ならざる急坂険路の難所が立ちはだかっていた。明治末期においても依然として交通途絶であった九人ヶ塔峠に待望の風穴が開くのだが、ここは日本一の石橋の町を謳う旧院内町である。現存するターゲットの材質構造が石積みでなければ嘘である。手掘り隧道である可能性も多分に含む中、僅かな期待を胸に第一次調査に赴いたのが2000年の秋。そこで僕はいきなり全国区の超レアな代物を目にする事となるのだ。

 

金網越しから見る九人ヶ塔隧道

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隧道リストに記載される当物件は車道幅員4.6m、限界高5.8mで、そこから想像するのは縦長逆U字型の、そう例えば石部隧道のような形状に近い構造物であるはず。であるからして現物とリストには素人目にも大胆な誤差が生じている訳だが、爺さんのボンバス一台の通過がやっとだったという証言通り、高さが足りない分想像以上に小さな隧道であると言わざるを得ない。

藪に埋もれる九人ヶ塔隧道

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九人ヶ塔隧道が現役を退く前に全てのバスが現行の箱バスへと移行が完了しており、バスやトラックは屋根の端と隧道の肩が接触しないように隧道のド真ん中を走行したと思われ、現役時代大型車両がこの穴を潜り抜けるに際し運ちゃんは相当神経を遣ったであろう事は想像に難くない。

九人ヶ塔隧道に残る照明設備

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因みに宇佐土木事務所によると九人ヶ塔トンネルの有効高は4.5m幅員6.5mだそうで、僕の弾き出した有効高3m、有効幅員4.5mと現トンネルの2/3の大きさしかない大正隧道は、普通車同士の内部離合が関の山であった事は数値的にも裏付けられる。後年は照明が灯された証であるブレーカーらしき付属品が今も残る。外部より窺い知れるものなど高が知れており、やはり洞内への潜入は願わくば・・・あれ?もすかしてアレは?

何故か九人ヶ塔隧道内部に佇むヘナリワン

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金網越しからこの惚れ惚れする光景を何度覗き込んだか知れない。自由という名の監獄から僕はいつもこの隔離された神秘的な空洞をヨダレを垂らしながら美貌の眼差しで拝み、それは小泉純ちゃんの靖国参拝と同じく、九人ヶ塔隧道への公式参拝は毎年欠かさぬ僕チンの恒例行事となっていた。叶うならば洞内へ潜入し食い入るようにして内壁全体を眺めたいものであるが、鉄柵という現実がそれを激しく拒みまたそれがルールであるとすっかり諦めていた。

圧迫感のある九人ヶ塔隧道内部

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だが僕は今現実に九人ヶ塔隧道の洞内に居る。中央付近にはキノコ栽培に用いたと思われる木枠が理路整然と並んでいる。延長が87mあるとされる洞内の内壁全てが水平基調であるかどうかはこれまで定かでなかったが、このたびはれて洞内の隅々に至る内壁の全てが布積(長手積)と呼ばれる長方形に整形された石を横に寝かせ整然と重ね合わせる工法である事が確定した。

キノコ栽培?二次利用される九人ヶ塔隧道

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石材はこの界隈で豊富に採れる凝灰岩であると推察される。何故ならば耐久性があり加工が容易という利点を生かし、院内の石橋に採用される凝灰岩を九人ヶ塔隧道に採用しない方が不自然であるからだ。

破壊されていた九人ヶ塔隧道のフェンス

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江戸末期に端を発する院内の石橋群で現存する75基の実に四割に相当する30基が大正年間に集中し、それは道路橋のみならず水路橋にまで及び、勢い余って院内・安心院を繋ぐ主要路線の隧道を手掛けたとしても何等不思議でない。並行する石橋調査において、当物件に関わったと思われるある人物の名が浮かび上がる。

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