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〜道路格闘家へなりと闘う鉄馬ヘナリワンの軌跡〜

ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を管理人が実走調査したレビュー

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野田洞(2)

★★★★★

野田洞(のだどう)の概況

旧道と現道とのギャップが余りにも激しく、現場で見る光景に自分の中でいまいち消化しきれない物件というのはけして少なくない。ここ野田洞もそんな物件だ。国東半島の国道213号線に連発するお宝隧道群は周知の通りであるが、それらとは距離を置く杵築平野のど真ん中に、問題の野田洞は口を開けている。国道213号線の隧道としては規格外とも言える小さな断面、そして現トンネルとの落差、それらをパッと見で国道の旧隧道を疑るに値せずと弾き出した勘ピューターの性能の低さが、古老の証言と市史とのダブルパンチによって露呈すると同時に、道路の奥深さをまざまざと思い知る事となった。九割方野田洞の正体が明らかになった今、僕が味わった衝撃度を読者諸氏にこれから追体験してもらう事になるが、特に国東や大分と聞いて黙っていられない方には激震が走る事になるだろう。当初は★二つとした当物件への評価は、マチャアキも規格外の★五つへと上方修正せざるを得ない緊急事態で、隧道王国大分の勢力図を塗り替える野田洞の逆襲に今宵D-1MAXのゴングが鳴る!

野田洞2-1byORR

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

僕がこの道に往還を重ね合わせた理由は以下に因る。

現道の野田隧道に対する旧道、つまり先代にしては著しく断面が狭く、大型車一台満足に通せぬ極端なスペックが腑に落ちない事。

トラック一台満足に通せない極小隧道

また洞門を潜り抜けた直後より沿道にはびっしりと民家が軒を連ね、中には明治以前よりそこに構えていると見られる武家屋敷風の塀を残す古民家が存在する事。

街道筋にも似た沿道の景観

野田洞2-2byORR

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

さらに簡易舗装された路面の一部に石畳の跡が見られる事など、街道を外して考える方が不自然なほど、そこには豊富な現物資料が揃っていた。

この洞門には大規模な崩落もしくは崩壊の危険性があったのだろう。片側坑門は残念ながらコンクリ塊によって固められ、原型を留めていない。

幸い処理は坑門付近に限られ、内部全般及び片側の坑門は竣工当時の状態を維持している。

野田洞2-3byORR

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

但し市道として現在も供用されている為、通行に支障のないよう路面にコンクリを打ち、必要最低限の整備は施されている。

延長が50mにも満たない短隧道ではあるが、対向の明かりは僅かしか漏れ届かない。実はその事が野田峠に江戸ッチャー有りを予感させる最たる理由でもあるのだ。

野田洞2-4byORR

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

西日本のトンネル調査においては絶大な威力を誇るtunnelwebのリストによれば、この洞門の正式名称は下野田隧道とあり、延長は僅か39mと短い。

尾根は頭上すれすれに位置し、尾根伝いに通された別の市道とは、僅か5mほどの比高にてクロスする形になっている。

尾根の直下まで駆け上っておきながら、短隧道を突かねばならなかった理由として、尾根上を横切る里道の存在が挙げられる。

野田洞2-5byORR

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

切り通しに因る東西集落間を結ぶ連絡道路の分断はできれば避けたい。頭上に横断道路さえ無ければ、間違いなくオープンカットされていたであろう野田洞に、開削前夜の思惑が見て取れる。

オープンカットにして橋を架けるという手法を用いらずに、隧道を掘削した所がいかにも大分らしいが、この洞門はたった39mという短距離にもかかわらず、内部は屈曲し見通しの悪い歪な線形をしている。

野田洞2-6byORR

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

また洞内の断面は一定しておらず、伸縮を繰り返す様はまるで巨大生物の胃袋のようだ。

露呈する未熟な掘削技術と動力に頼らず人力のみで掘り抜いたであろう凹凸の激しい岩盤剥き出しのテボッチャー、更に大型車の通行を許さず主要道路の隧道としては成立し得ない規格外の洞門は、推測の時点でチギリメン隧道、箕ヶ岩隧道クラスと比肩或いは超越するかも知れぬ大物の手応えが感じられた。

野田洞2-7byORR

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

坑口の先には人家が見える。平地より坂道を駆け上がる杵築側の沿道に人家が一軒も見られないのに対し、日出側には隧道の直前に人家が構え、それも一軒ではなく沿道には家屋がびっしりと軒を連ねているのだ。

そこに佇む家々は、隧道の掘削と共に築造されたと考えるのが自然だ。何故ならば杵築・日出側共に取り付け道は、隧道の存在が前提として造成されたワンセットの道で、両側共に先代と思わしき逃げ道が全く存在しないからだ。

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