ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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小阪峠(旧国道42号線/熊野街道)(5)

★★★

 

小阪峠(旧国道42号線/熊野街道)

つい最近まで僕の中で、それは単なる未開通県道のしょーもない峠として認識されていた。だが実はその裏に恐るべき真実が隠されている事など知る由もなく、この峠の手の平で踊らされる無邪気な僕がいた。普段は大人しい顔をしている小阪峠、その遍歴を一度紐解けば実に大胆な姿があらわとなり、まるで本当の姿などおくびにも出さない小悪魔のような小阪峠は、僕を大いに翻弄させた。時の流れに身を任せ、変幻自在に姿形を変える妖艶な小阪峠は、日を追う毎に僕を虜にし、気が付けば僕は小阪尚輝と改名していた。たわわに実った〜早紀ちゃんの胸に〜小阪尚輝が〜嵌った〜(ウルルン風)カットカットカット!それじゃぁプルルン滞在記でしょーが。テイク2:たわわに実った〜早紀ちゃんの胸に〜保坂尚カットカットカット!それじゃぁノンフィクションでしょーが。テイク3:小阪峠で〜バスも走った名道に〜小阪尚輝が〜出会った〜♪

 

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小阪峠の切り通しを抜けると道は二手に分かれる。そこは人が住まう事を許されない傾斜の厳しい斜面が続くばかりで、これを見る限り小阪峠には、切り通しの向こうに見た茶屋一軒のみが、孤立して営業していたと考えられる。左へ折れる林道高更線は五郷方面への近道だが、これは後年になって付けられたもので、その昔はあっても単なる人道に過ぎなかっただろう。従って当時は右へ下る本線のみが車道であった訳だ。

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それとて現在の道幅まで拡幅されたのは昭和10年の事である。それまでは犬も食わない激狭道であったのだ。ほぼ一車線の狭路とは言え、現在とそれほど大差ない車道の出現は、自動車時代の到来を大いに予感させるものであった。だが小阪峠の改修が終わるや否や、なんと今度は峠直下に隧道を突き始めるのである。確かに小阪茶屋は一時期その恩恵を授かり棚牡丹式に潤った事だろう。

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だがそれは茶屋の終焉も同時に意味しており、店を畳む事と引き換えねばならぬ一大事でもあった。昭和10年に完成を見た小阪峠の改修は、矢ノ川小阪評議の三峠に将来を見据えた自動車の円滑な交通を確保するという至上命題の下に手が下されたのは間違いないが、そこには早くも佐田坂新道への伏線が敷かれ、小阪隧道に関わる工事用の大型車両を通す目的も多分に含まれていた。

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茶屋の主も馬鹿ではないだろうから、隧道が貫通すれば峠が廃れる事くらいは百も承知だ。工事期間中に荒稼ぎした金で新道沿いに店を移転させる青写真も描いたはず。だがそれは予期せぬ事態により御破算となってしまう。小阪峠の改修が終わるや否や間髪入れずに小阪隧道の工事に着手すると、多くの工事関係車両が毎日のようにピストン輸送を繰り返した。

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普段の通勤通学客に混じり、多くの労働者がボンバスを通勤の足として使い、一時期は鮨詰め状態若しくは増便する事もあったのかも知れない。熊野と小阪を繋ぐ現在のR42である佐田坂は、その時点でまだ影も形もない。つまり小阪隧道の工事現場へ至るには、熊野からは評議峠を越えねば到達できず、小阪からも熊野側坑口掘削現場へは小阪峠を経て工事用道路を下るのが唯一の経路であったのだ。

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そこから小阪評議の両峠道は、佐田坂新道を通すが為の捨て駒のようにも見える。昭和13年遥か上空で産声を上げた小阪隧道は、下界で待つ木本隧道と共に、受け入れ態勢は万全であったが、そのバッテリーがまともに車両のキャッチボールを行うには、まだ十数年の歳月を要するのだ。何故ならば核となる佐田坂の工事が、太平洋戦争によって、一時凍結となるからだ。

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木本隧道はそれまで人道でしかなかった松本峠に代わり、大泊と木本を繋いだ事で、地元では大いに沸いた。だがどことも接続しておらず、佐田坂が完成しない事には意味を成さない小阪隧道は、その後しばらく放置プレイを余儀なくされる。右から旧旧道、現道、そして左の薮に埋もれる小阪隧道は、再び放置プレイの最中にある。

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