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非道隧道(7) ★★★ |
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非道隧道の取扱説明書 もしも突然歴史上の人物を一人挙げよ3・2・1・Q!と問われたならば、僕なら間違いなくザビエルと即答するだろう。そう、フランシスコザビエル。教科書にも登場する
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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR あ〜らよっと。今回はお約束通りここまで持ってきましたよヘナリワン。さっそくだが非道隧道の断面とヘナリワンとを見比べて欲しい。両側からあっけないほど簡単に光を通してしまう程の短距離ながら、その断面が現代の大型車両一台を楽々通してしまうのは勿論、もしも路面が整備された状態ならば、軽自動車同士の内部離合も夢ではない幅員。果たしてこれが竣工当時からのものなのか? |
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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR この疑問に一冊のバイブルが答えてくれる。道の駅西会津で〜僕は〜一冊の本と〜出合った〜(ウルルン風)立ち読みするうちに、気が付けば購入していた「会津の峠」(著書:笹川壽夫)に、大きなヒントが隠されていたのである。この書物により僕は初めて会津三方道路という言葉を知る。会津若松を起点として新潟・山形・栃木へと通じ、それは馬車交通を念頭に置いたこれまでにない幅広道 |
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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR だという。そしてあろうことかそれを指示したのが他でもないザビエル(欧米か!)あのミッチョンこと三島通庸だという。なんという事だろう、あの芳本美代子以前にミッチョンと呼ばれる人物がこの世に存在しただなんてス・テ・キ。明治初期に手腕を揮った三島が拓いた道だとすれば、それは馬車道に他ならず、だとすれば洞内における馬車同士のすれ違いは充分可能な非道隧道は、竣工当時の |
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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR ままの姿で現存している可能性が非常に高いと言える。この道の正体が明治期の、それも三島絡みの道と知ってしまった今、否が応にもボルテージは上がる。先程目にした頭上の馬頭観音。やはりあれはこの三島道における犠牲者の供養塔であろう。ほぼ垂直に切り立つ絶壁路は、三島が新たに拓かせた新道で、それまで使われていた古道を恐らく踏襲してはいない。それは三島がことごとく |
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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR 旧道の拡幅ではなく、新設路線に拘った事からも説明がつく。建設当時鬼県令によって駆り出された者達の怨念だろうか、人力ではびくともしないであろう巨石群が道を大きく塞いでいるが、単車なら辛うじてすり抜ける事ができる。そこを抜ければ後は楽だった。ゲートらしき物体が視界前方に見え隠れしている。明治17年に三方道路が開通とされている事から、山形のみに留まらず福島県令まで |
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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR 兼務した時の三島は、待ってましたとばかりに着任早々会津三方道路に着手、強引な手法(ココがミソ)で開削したとされ、栃木へと延ばした道こそが本道である。当初の計画では尾頭峠が挙がったようであるが、余りの峻険さに山王峠より今市経由へとルート変更されている。会津若松を起ったこの馬車道が最初に差し掛かるのが、あの舟子峠だと知って、鼻から牛乳が出そうになった。舟子峠→ |
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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR 非道隧道→山王峠と切り拓いた明治新道の先に、三島は帝都を見たに違いない。それは山形→福島→栃木と東京に向かって吸い寄せられるようにして県令を歴任している事とも決して無関係ではない。いよいよゲートが目前に迫る。三島の拓いた明治道は、今でも車両の通行を許すのか? 非道隧道8へ進む 非道隧道6へ戻る |